Pepeさんちのこと[1] [Abruzzo]
あれは2000年、たぶん2000年。書店の在庫一掃セール(出版社の倒産か何かでの特殊なセール。再販制度のある日本で書籍の値引きはない)で3冊の画集を手に入れた。そのうちの1冊が『カルロ・クリヴェッリ画集(ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)』。一目惚れ。好き嫌いはあるだろうが、ある意味特異な画家。その人生も作品も。
作品のほとんどは世界中に散らばってしまったが、彼が半生を過ごしたMarche(マルケ)州には、かなりの数が残っている。こりゃ見に行かねば。さて、Marche。見事にマイナーである。観光地として知られているのはUrbinoくらいか。そのマイナーなMarche州でもクリヴェッリの作品が残っているのは大半が辺鄙な山の中。どこかに拠点を置いて、毎日通うしかないか。
そしてたまたま手元にあったアグリツーリズモのガイドブック。少し前から知られるようになった農家民宿のガイド。そして、たまたま見つけてしまったのである。Emidio Pepeのアグリツーリズモを。Abruzzo(アブルッツォ)州ではあるが、ほとんど州境。
↑この畑は輪作。この年は向日葵だったけど3種類くらいの作物で回してるみたい。
「や〜ん、Emidio Pepeってば、アグリツーリズモもやってるんだ〜」
Emidio Pepeの説明を少し。2000年当時、知る人ぞ知る『自然派ワインの大御所』。日本にも少しは入ってきていたけれど、ほとんど全てが東京で消費され福岡まで回ってくることはほぼない。酒屋でもほとんど見かけず、ちょっとイタリアワインおたくが行くレストランで出されるくらい。「一度は飲んでみたいものだ」と思っていた私にとって、その製造元(笑)に泊まるということは飲み放題かも!?という下心が疼く疼く。
ドキドキしながら電話をした。
「は〜い。アグリツーリズモ?んん、その日なら空いてるわよ〜。わかった〜1週間ね。じゃあ待ってる〜」
と、ゆる〜い返事。ファクスで確認したいのだけれどと言ってもSignora Pepeは
「ファクス?使えない、私は。大丈夫、イタリアに着いたらまた電話して〜じゃあね〜」
イタリアに着いて1度、約束の前日に1度、そして当日にも電話を入れましたですよ。
「ああ、今日だったわね〜待ってるわよ〜時間?何時でも。いい?Teramo(テーラモ)からはS.Edigio(サンテディジオ)を目指すのよ〜S.Edigioよ〜」
迷いましたですよ、散々。Emidio Pepeこっちの矢印のついた看板を見たときには涙が出るほど。
↑今は改装して素敵になってます!昔は農繁期の作業をするひとたちが使っていた。
http://www.emidiopepe.com/public/DB18/LayoutP/main.asp?cc=3&cl=I&nco=agriturismo&mode=d&pg=0&chkPrz=0&cmpPrz1=&cmpPrz2=&db=DB18
ヘロヘロになってSignora Pepeに挨拶したが、その日はちょうどワインをタンクから瓶詰めしているところだった。当時は瓶詰め用の機械を引いたカミヨン(トラック)が各ワイナリーを廻って瓶詰め作業をやっていた。カミヨンは時間が限られている(次の予約が入っている)ので、この作業の日は目が回るほど忙しい。
みなさんに挨拶をするでもなく部屋に通されるでもなく、することがなかった私は荷物を車から降ろす前に、働くみなさんの輪に入っていた。
↓これは別の日の作業風景。常雇いではなく忙しいときだけ近所のおばさんたち、というよりお婆さんたちが手伝いに来る。このおばちゃんたちとは、いまだに仲良し。
左がCinziana(チンツィアーナ)ウサギを飼育しており、ときどきPepe家でもご馳走になる。真ん中がIda(イーダ)一番年長で一番仲良し。右は…名前忘れた。
右がAnna(アンナ)ヴェネツィアからお嫁に来たから、いまだにAnna Veneziana(アンナ・ヴェネツィアーナ:ヴェネツィア人のアンナ)と呼ばれている。よそ者って意味かなと思ってたら、実は他にもたくさんアンナがいて、それと区別するため。
このIdaといい、Anna Venezianaといい、もう一人の若いAnnaといい、その生きてきた物語は、この番組
http://www.bs4.jp/document/italy/
に推薦してやりたいくらい(笑)。
と、まあ、私とPepe家のご縁は、Carlo Crivelli(カルロ・クリヴェッリ)というけったいな画家から始まったのであ〜る。
カルロ・クリヴェッリ画集 (ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ)
- 作者: カルロ・クリヴェッリ
- 出版社/メーカー: トレヴィル
- 発売日: 1995/10
- メディア: 単行本
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